ビルマ ドクリツ キネン トクシュー(昭和18年、1943年)

『ビルマ ドクリツ キネン トクシュー(ビルマ独立記念特集)』

 『ビルマ ドクリツ キネン トクシュー』は、「ビルマ新聞社」から昭和18年(1943年)に出版された写真集です。収録されている写真は、「東京写真協会」および「読売新聞」からの好意で提供されたものです。
 標題のとおり、1943年8月1日のビルマ「独立」を記念し発刊されたもので、戦地における日本軍の活躍や日本・ミャンマー国内の様子を写した多くの写真が収録されています。また、それぞれの写真には日英緬の3言語による説明が加えられています。

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著作権について

  • 本写真集は、「ビルマ新聞社」によって発行されました。このため、本写真集の著作権も同社に属すると考えられます。したがって、本写真集は「法人その他の団体が著作の名義を有する著作物」(著作権第53条1項)に該当し、公表後70年以上が経過したため、その著作権が消滅したと考えられます。
  • 収録されている写真は「東京写真協会」および「読売新聞」から提供を受けたものであり、それらの写真について個別に著作権が認められる(同法第10条第1項第八号を参照)場合がありますが、上記と同様に消滅したと考えられます。
  • 万が一、権利の侵害があった場合は、すみやかに当ブログ上での公開を停止いたします。権利者のみなさまにおかれては、ミャンマー語たん(@myanmar_go_tan)までご連絡いただきますようお願い申し上げます。

スライド4ページ目について

 東條英機と共にバモウ博士が写る写真は、1943年3月22日に総理大臣官邸にて撮影されたものだと考えられます。

勲章の内容と叙勲の理由

 各人が身につけているのは、以下の勲章です。
バーモ(バモウ博士)勲一等旭日大綬章
モンミャ(タキン・ミャ)勲二等瑞宝章
テーモン(ウー・テインマウン)勲二等瑞宝章
オンサン(アウンサン将軍)勲三等旭日中綬章

叙勲の詳細を下に記します。

勲一等旭日大綬章 緬甸行政長官 バーモ(ဘမော်, ဒေါက်တာ、バモウ)
 右者夙に我帝国の真意を正解認識せる親日家にして曾て総理大臣、文部大臣等の経歴を有する同国最高の識者なり昭和十四年下野し緬甸解放党を結成緬甸再建を企図しつつありし処偶々監禁の身となり(*1)昭和十七年皇軍の「マンダレー」攻略後救出せられて茲に緬甸行政長官となり爾来終始一貫皇軍緬甸最高指揮官指導の下に遺憾なく我作戦に協力すると共に更に民衆の指導に心血を傾注し武力勘定後速に治安の回復を図り緬甸建設の基礎を確立し軍政に寄与する等我帝国の国策に貢献せる功績は真に偉大なりとす

勲二等瑞宝章 緬甸行政府内務長官 モンミヤ(မောင်မြ / မြ, သခင်、マウンミャ)
 右者蘭貢(*2)大学卒業後弁護士を職とせる傍ら農村問題の研究者として民衆の信望熱く同国下院議員に選出せられ「タキン」党の主席にして且つ又「バーモ」博士等と志を一にする親日者なり
 昭和十七年皇軍の緬甸進駐に際しては独立軍の一員として蘭貢に入城し其後内務長官として終始克く「バーモ」を補佐し皇軍に対する協力に遺憾なく又民衆の指導に専念し以て我軍の攻略後速に治安を回復せしめ緬甸建設の基礎を確立し以て我帝国の国策に協力貢献せる功績は寔に偉大なりとす

勲二等瑞宝章 緬甸行政府財務長官 テーモン(သိန်းမောင်, ဦး、テインマウン)
 右者蘭貢及「カルカツタ」に医学を専攻し其後政界に入り印度議会議員、緬甸下院議員に選出せられ次で商工大臣に任ぜられたる有識者にして昭和十四年大臣を辞し「バーモ」と共に緬甸解放党を結成し其の実現に終始奔走せる親日者なり
 緬甸行政府組織せらるるや其の財務長官となり「バーモ」を補佐し克く皇軍に協力し就中財政の運営に専心努力を払い以て之を安定せしめ我軍攻略後速に治安の回復に努め緬甸建設の基礎を確立せしめ我帝国の国策に協力貢献せる功績は真に偉大なりとす

勲三等旭日中綬章 緬甸防衛軍司令官少将 オンサン(အောင်ဆန်း, ဗိုလ်ချုပ်、アウンサン)
 右者蘭貢大学に学び学生会長として学生の信望を一身に担い其の機関誌の主筆として反英独立思想を鼓吹したる如き特殊の者にして卒業後「タキン」党(*3)書記となり印度に渡り軍事視察を為し又昭和十五年密に我国に渡来し軍事を研究帰国の上緬甸独立軍指導者となる而して又「バーモ」等と志を一にする真の親日者にして現に同国防衛軍司令官として我最高指揮官指導下皇軍の作戦に直接協力し治安の回復、維持に専念し緬甸建設の基礎を確立せしめ我帝国の国策に協力貢献せる功績は真に偉大なりとす

 以上、「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A10113471800、緬旬行政府長官「バーモ」外三名叙勲ノ件(国立公文書館)」
( https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A10113471800 )より引用した。
 丸括弧内のビルマ文字および日本語よみは、管理人によるもの。
 引用に際して、一部の漢字表記を読みやすくなるよう改めた。

*1 バモウ博士は1942年6月までマンダレーのMogok(モゴック)にある刑務所に収監されていた
*2 蘭貢は、ラングーン(現ヤンゴン)のこと
*3 တို့ဗမာအစည်းအရုံး (我らのビルマ協会、ドーバマー・アスィーアヨウン)のこと

ビルマの「独立」とは

 ミャンマー連邦共和国において、毎年1月4日は、「独立の日(လွတ်လပ်ရေးနေ့)」という祝日です。この日は、1948年の同日にミャンマーがビルマ連邦(ပြည်ထောင်စု မြန်မာနိုင်ငံတော်‌)としてイギリスから独立したことを祝うものです。その一方で、(1943年)8月1日は「独立」の日として扱われないばかりか、反ファシスト(ဖက်ဆစ်ဆန့်ကျင်ရေး)武装蜂起が集団的に開始された日とされる(1945年)3月27日は、「国軍の日(တပ်မတော်နေ့)」または「革命の日(တော်လှန်ရေးနေ့)」と定められています。
 
 日本軍によるビルマの占領期および「独立」期に生じた個別の出来事について触れることはしませんが、この事実から1943年8月1日の「独立」がミャンマー国内においてどのような評価を受けているかということが垣間見えるのではないでしょうか。

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