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「ミャンマーの諺・格言20」

ကြောင်မရှိ ကြွက်ထ (チャウン↓ マシィ. チュウェッ タァ.) (猫がいない(ときに)ネズミが動く) 

サンスクリットとパーリ語の違い

 パーリ語は東南アジアで広く信仰されている上座仏教において経典の中で用いられています。要するにミャンマーで唱えられているお経はパーリ語です。ミャンマーではビルマ文字でパーリ語が表記されるため一見してミャンマー語とパーリ語の区別がつきません。  より正確に言うならば,パーリ語はモン文字(ビルマ文字の元となった文字)で表記されています。上座仏教はモン人(族)からビルマ人(族)へ伝えられたという歴史に注目していただくと分かりやすいと思います。  またミャンマー(ビルマ)語とモン語とで読み方が異なります。 【三帰依文】…仏教の三宝(仏・法・僧)に対する帰依を表明するもの 「Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi」 日本における一般的なよみ (ブッダン・サラナン・ガッチャーミ) または (ブッダム・サラナム・ガッチャーミ) 「ဗုဒ္ဒံ သရဏံ ဂစ္ဆမိ」 ミャンマー(ビルマ)語よみ (ボウッダン・タラナン・ゲッサーミ) モン語よみ (ブッダン・サラナン・ガッチャーミ)←モン語読みの方が実際の発音により似ている。  パーリ語を理解できるのは僧侶を中心とする知識人でした。その中でも技術や思想に関する専門用語として、ミャンマー語にはない概念を表すためにパーリ語からの借用語が増えたのだと考えられます。場合によっては自分の知識をひけらかすためにパーリ語がつかわれることもあったのかもしれません。  ミャンマーにおいてはパーリ語による文学も盛んでした。日本の奈良・平安時代以降に漢籍が貴族の間で学ばれるようになったことと似ていますね。ビルマ文字の字母のうち灰色に塗られた文字はパーリ語を表記するための文字であり、使用頻度が低いです。 က ခ ဂ ဃ င ka̰ kʰa̰ ga̰ ga̰ ŋa̰ စ ဆ ဇ ဈ ည sa̰ sʰa̰ za̰ za̰ ɲa̰ ဋ ဌ ဍ ဎ ဏ ta̰ tʰa̰ da̰ da̰ na̰ တ ထ ဒ ဓ န ta̰ tʰa̰ da̰ da̰ na̰ ပ ဖ ဗ ဘ မ pa̰ pʰa̰ ba̰ ba̰(pʰa̰) ma̰ ယ ရ လ ဝ သ ya̰ ya̰(ra̰) la̰ wa̰ θa̰ ဟ ဠ အ ha̰ la̰ ʔa パーリ語とサンスクリット(語)の違い  乱暴な説明になりますが、「パーリ語はサンスクリットがくだけて,(やや)単純になったも

東南アジアの言語がサンスクリットではなくパーリ語のからの借用が多いのはなぜか。

質問 の要旨 東南アジアの言語がサンスクリットではなくパーリ語のからの借用が多いのはなぜか。 回答 東南アジアで広く信仰されている上座仏教の経典がパーリ語で書かれているからだと思われます。また知識人の多くがパーリ語を学んでいたため,パーリ語からの借用が盛んに行われたのだと考えられます。 パーリ語はサンスクリットがくだけて(やや)単純なものになった言語だと理解していただいて差し支えないと思います。またサンスクリットはパーリ語よりも古く,サンスクリットは文語として,パーリ語は口語として使われたという理解でもいいかもしれません。また上座仏教の経典がパーリ語で書かれていた一方で,大乗仏教の経典はサンスクリットで書かれている傾向にあります。 ←前の質問 次の質問→

ကျွန်မ ယောက်ျား は何と読むか

質問 の要旨 ကျွန်မ ယောက်ျား は何と読むか 回答 "ကျွန်မ ယောက်ျား"ですね。チャマァ ヤウッチャーと読みます。  ယောက်ျား(ヤウッチャー)=ယောက်+ကျားという構造です。 意味は「男,男性・夫」です。 ယောက်は人を数えるときの助数詞 ကျားは男性(用トイレ)を指します。 それぞれの最後と最初のကが合体してက်ျားという形になりました。 ←前の質問 次の質問→

သတိရတယ်の意味

質問 の要旨 "သတိရတယ်" というコメントを友達からよくもらう。どういう意味か。 回答 → သတိရတယ်(ダディ ヤァ デェー)とは「(あなたのことを)覚えている」や 「 (あなたのことを)懐かしく思う 」といった意味です。 သတိ (ダディ) 気づき,注意,関心 ရတယ် (ヤァ デェー) 得る 余談ですがသတိ (ダディ)はパーリ語のsati(サティ)のことで「気づき」,「念」や「マインドフルネス」と呼ばれるものです。 သတိရတယ် は直訳すると「気づきを得る」といった意味になります。 ←前の質問 次の質問→

「アウマ ギューサイ」とは何か

質問 の要旨   (ミャンマーの)空港で別れ際にミャンマー語で「アウマ ギューサイ」と伝えられた。ミャンマー語は分からないため,あくまで聞いた音をカタカナ音写しただけであるが,何と言っていたのか知りたい。 回答   「成功しますように,お気を付けて」ではないでしょうか。 カタカナにすると「アウンフマー ガユーサイッ」となります。もしかしたら「アウンフマー」の前に何かがあって「○○になりますように,お気を付けて」と言っていたのかもしれません。どちらにせよ別れ際の言葉ということでしたので「ガユーサイッ」=「お気を付けて」といっていたのは確かだと思います。   အောင်မှာ ဂရုစိုက် アウンフマー ガユーサイッ 成功しますように お気を付けて(注意してください) 「お体に気をつけてください」とも「道中お気をつけください」とも取れます。 အောင်には「成功,勝利,(試験に)合格する」などといった意味があります。良い意味をもつ語であるため,人名に多く使われます。アウンサンスーチー氏の"アウン"も,この အောင်(アウン)です。 ←前の質問 次の質問→

「ヤカイン方言?ヤカイン語?」

質問 の要旨  「ミャンマー語には様々な方言が存在するそうである。ヤカインの言語の名称として「ヤカイン方言」と「ヤカイン語」とが混在しているが,両者の違いは何か。方言と言語の定義は何か。」 回答  ラカイン語(または「アラカン語」)とするかラカイン方言とするかという問題は学術的な問題というよりも政治的な問題になると思われます。  ラカイン州の独立を強調する者,またはミャンマー(この場合,「ミャンマー連邦共和国」や「ビルマ族(Bamar people)」を指す)とラカインの区別を強調する者は,「ラカイン語」という用語を使うということです。  たとえばポーランド語話者とベラルーシ語話者は互いに意思疎通が可能であるそうですが,「ベラルーシ語がポーランド語の方言であるか否か」ということ(つまり「ベラルーシ方言」か「ベラルーシ語」かという問題)は学術的な問題というよりも個人のナショナリズム観や歴史認識に大きく左右される問題です。「ラカイン語」と「ラカイン方言」の違いは,それと同じような問題であると考えます。まずは「○○国の公用語は○○語ただ一つである」という認識(偏見)に陥っていないかという確認が必要になります。  方言と言語の定義についての直接の解説ができずに申し訳ございません。 次の質問→